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会員からのメッセージ

「ダム現場の思い出」 第15期 山口 徹(2009/02/27)

思い出の深い2つのダムについて
 1つ目は、宮ケ瀬ダムです。私達は骨材製造工事を担当させていただきましたが、当時、小生はまだ「ダム屋」と呼ばれるほどの経験は無く、「トンネル技術者」として配属されたようなものです。宮ケ瀬ダムでは、原石の採取・運搬にグローリーホール工法が採用されましたが、トンネル技術者としても竪坑の経験は無く、弊社の諸先輩に話を聞きにいったり、鉱山会社の竪坑を見学させていただきながら、勉強をさせていただきました。
 また、掘削工法は当初クライマー方式で計画されていましたが、安全上問題ありとのことで、現地での調査ボーリングをした上で、掘削工法検討委員会で議論していただき、なんとかレーズボーラによるパイロット坑をつくり、上部から拡幅しながら切下がる方法に変更をしていただきました。おかげさまで若干のトラブルはあったものの、無事に竪坑を掘削することができました。小生が技術士の資格を取得できたのは、まさにこの現場で苦労したおかげと思っています。
 2つ目は、葛野川ダムです。前述の宮ケ瀬ダムも難しいところはほぼ終わり、これからは骨材を製造していくだけで、少しは楽ができるかなとの矢先に転勤を申し渡されました。赴任して約1年半、東京電力様と協議しながら、施工計画と見積をつくりあげていきました。着工してからは、20%のコストダウンを要求されました。特にダム本体のコンクリート量および掘削量をできるだけ減らすように要求され、岩級区分の見直しから始まり、何十種類にも及ぶケーススタディを繰り返し、各種計測設備を設置し、地山の挙動を観測しながら、変状がみられた場合は、アンカーを施工しという状況でなんとか所要のコストダウンを達成できたと自負しています。この現場では、夜中の12時まで事務所でデスクワークをしているのは当たり前のことで、小生の会社生活の中で一番働いた現場と思います。施工当時は、なんでこんなに遅くまでやらなければならないのかとの思いもありましたが、今では懐かしい思い出となっており、時には当時の東京電力の担当者と昔話をしながらの酒席も開催されております。 また、小生がCMEDの資格を取れるようになったのも、ここでの経験が大きく影響しております。
 さて、小生は平成9年7月に営業職を命じられ、以来11年半現場とはほとんど縁がなくなってしまいました。その間、ダム現場を取り巻く環境は激変し、受注するのも大変、施工して利益をあげるのも大変という時代になってしまいましたが、ダムの必要性はまだまだあり、今後ともCMEDの一員としてなんらかの形でダム事業に係わっていければと考えております。
(ダム工事総括管理技術者会だよりN0.42号:平成21年2月25日 会員の輪より抜粋)

『ダムとの出会い』 第20期 小宮山 秀樹(2009/02/27)

 最初に従事したダム現場は、北海道開発局の鶉ダムです。このダムは1973年(昭和48年)に当社単独で仮排水路トンネルに着手し、2001年(平成13年)に竣工したダムで有り、足かけ30年もの歳月を要したロックフィルダムであります。そのダムに1979年(昭和54年)4月に着任しました。ここでは約1年余り土質材料の試験を担当しました。函館の山奥であり、月に一度街に出かけて行くのが唯一の楽しみでした。
 次に赴任しましたのはダムを離れ、北海道共同備蓄基地のタンク基礎工事と白老の高速道路に1年ずつ勤務し、本社土木設計部に転勤となりました。本社ではダム計画を主に行い、机上での施工計画を数ダム行いました。ここで六年ほど勉強させて頂いた後そろそろダム現場に行きたいと申告したところ、やっと建設省東北地方建設局の月山ダムに従事できることになりました。月山ダムは直轄初のベルトコンベヤを主運搬設備としたRCD工法による重力式ダムです。当時水資源公団の浦山ダムが先行しており、それに負けまいと月間打設量の記録を樹立すべく、頑張りました。また、合理化施工を合い言葉に堤内構造物のPC化と高流動コンクリートを採用し、成果を上げることが出来ました。足かけ十三年、始めから最後まで116万㎥の大ダムに従事することが出来ました。おかげさまで終の棲家とゴルフ場を購入し(もちろん会員権のことですが)、今でも月に二度ほど鶴岡へ帰っております。
 次は宮城県の再開発ダムであります花山ダムに赴任しました。つい最近大地震に見舞われましたが、ダム本体への影響は無いと聞いて安心しています。その後に二瀬ダムの地滑り対策工事(φ1200mm t=101mm L=30〜40m)に従事しました。
 この後、北陸農政局の後谷ダムに1年従事し、最後に兵庫県の治水専用ダムであります石井ダムに従事しました。このダムは試験湛水を三年度にわたって行いましたが、ついにサーチャージ水位まで行かずに運用に入ったダムです。
 以上が私の携わったダム工事ですが、やはり一番印象深いのは月山ダムであります。試験湛水でクレストゲートから流れ出る水をみて、感激しました。また、自宅に近くのせいもありますが、年に二三度訪れ変わっていないか(当然変わるわけは有りませんが)植樹した山桜に肥料をやりながら、下流面の月模様を眺めております。いままでやって来られたのもダムとのかかわりにより、先輩・同僚・後輩たちとの出会いと仕事への喜びがあったからこそと思います。また、今後もダムとかかわって行ければ思っております。
(ダム工事総括管理技術者会だよりN0.42号:平成21年2月25日 会員の輪より抜粋)

『ダムの世界は昔からグーグルだった』  第23期 水野 良(2009/02/11)

現在従事している『留山川ダム』は生活貯水池の小規模なダムではあるが、温度較差が大きく、骨材購入による堤体の打設ということもあり、堤体コンクリートに対する厳正・迅速な品質管理の実施や、また、監査廊のプレキャスト化やネットワーク情報・通信システムなど新工法・新技術の採用に取組み、ダム技術の向上に努めている。
今更ではあるが、このようなことに取組んでいる自分がいるのも、ダム屋の世界に入り、所属会社の区別なくいろいろな人から惜しげもなくたくさんのことを教わり、多くの知恵と刺激を授かったからに他なりません。
ダムの世界は、さまざまなダムの技術・知恵を結集し、それを誰もが共有し利用できるよう常にオープンにすることにより、ダム技術のブラッシュアップを図ってきたのです。ダムに関する情報を収集・整理し、それを積極的に発信することは、ダム技術の向上を図り、最大の知的財産である人脈づくりに大きく寄与してきたのではないでしょうか。
言うまでもなく、グーグルが世に出る以前から『ダムの世界は昔からグーグルだった』のです。これは、ダム屋の諸先輩方が築かれたすばらしいダム屋の財産です。昨今、入札制度が変わっていく中でこうした財産がもし失われていくとしたら大変残念なことです。
また、情報は「Give & Take」するものではなく、「Give & Give & Give & ・・・」するものだそうで、ダムの情報を収集し、整理し、どんどん発信することが、ダム生産性およびダム技術力の向上につながります。そのダム屋の精神・財産は持ち続けたいものです。
今後とも是非、皆様方にも施工状況を見て頂き([リンク]:Liveカメラ有)、ご指導・ご協力をいただきながら、後世に誇れる”留山川ダム”を造ってまいりますので宜しくお願いいたします。
(ダム工事総括管理技術者会だよりN0.41号:平成20年7月25日 会員の輪より抜粋)

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